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洗顔の歴史、手ぬぐいを用いた美容法について

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今から千年前の洗顔はどうだったのでしょう?

もちろん、クレンジングも洗顔フォームも、さらには水道もなかった千年も前の時代。源氏物語の女性は、白粉化粧をしていましたが、一体どうやって洗顔をしていたのでしょうか?

平安時代には、貴族階級や僧侶は浴室を持ち、小豆を原料にした洗浄料を使って顔や身体を洗っていたことが記録に残されています。ただし、洗顔のもうひとつの意味、素肌を美しくする洗顔が定着するのは江戸時代に入ってからのことです。

江戸時代に入ると、お米からとれる糠(ぬか)が洗顔料として使われるようになりました。この時代の人々もお米を主食としていましたので、誰でも手に入りやすい糠(ぬか)が洗顔料として使用されるようになり、江戸の庶民(女性)たちにとって洗顔がぐっと身近に、日常の習慣になるまでに浸透しました。 これは洗顔=日々のスキンケアという今と変わらない洗顔意識をもたらしたともいえます。

洗い方は、絹や木綿の布を袋状に縫い合わせた糠袋(ぬかぶくろ)のなかに糠を入れ、ぬるま湯に浸してしぼったら、顔もふくめた全身の肌の上をなでるように滑らせるといったもの。

糠をきっかけに、洗顔が女性たちにとっての習慣になると、肌への意識も高まります。

手ぬぐいの歴史

てぬぐいの歴史は、奈良時代から始まったといわれています。奈良時代では、神仏の像や飾り付けなどの清掃を目的とした布として使われていました。平安時代には、神祭具として神事に身に纏う装身具として使われていました。

当初、布は貴重なため、祭礼などを司る一部の身分の高い者しか手にすることはありませんでしたが、鎌倉時代以降から庶民にも少しずつ普及し、室町時代には湯浴みの体を拭うためにも使われるようになり、戦国時代には広く用いられるようになりました。
今昔物語では「手布(たのごい)」という表記の記述があり、和名抄には「太乃己比(たのごひ)」という表記の記述があり、それぞれ、てぬぐいを指しているといわれています。

江戸時代には、都市近郊で銭湯が盛んになったことや、奢侈禁止令により、絹織りの着物が禁止され、綿花の栽培が盛んになり、木綿の着物がよく作られるようになると、端切れなどからも手ぬぐいが作られるようになり、生活用品として庶民に欠かせないものになりました。この頃から「手拭(てぬぐい)」と呼ばれるようになったそうです。

そして、歌舞伎で被り物や衣装としても、様々な場面や役柄で使われ、庶民に与えた影響も大きいと言われています。
今でもその文化が現代にいきづいています。


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手ぬぐいを使った洗顔方法


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江戸も後期に入ると、さらに洗顔での美肌意識は高まります。

江戸の女子が夢中になった美容バイブル『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』(狭山半七丸著)は、当時都会で流行した化粧やファッションのみならず、身のこなしなど、江戸の美容法がぎっしりと紹介された本です。

『都風俗化粧伝』によりますと、『この顔だちは、色白き人ならば化粧はなき位がよし。湯化粧をなし、その上を手ぬぐいを熱き湯にてしぼり、少しおさえおくべし』と、手ぬぐいを使用した美容法を紹介しています。

また、「熱すぎるお湯での洗顔は、肌にしわができるため、ぬるま湯で」や、「洗い粉を糠袋にいれて使うときは、強くこすれば肌理がこわれるが、肌の上を静かにまわすようにすれば、肌理が細かくなりツヤも出る…」といったノウハウがこと細かに紹介されています。江戸女性の洗顔はもう、美肌をはぐくむスキンケアの一環になっていたのです。

手ぬぐいは、日本人が昔から慣れ親しんでいるものだけに、目の細かさや質感等が日本人の肌になじみやすいのです。

また、手ぬぐいは、端を縫わずに切りっぱなしです。これは何故でしょうか?
もし、通常のタオルなどであれば、その縫った部分に顔を洗った際の雑菌などがたまってしまう恐れがあります。切りっぱなしであれば、あらってそのまま流れていき、また、とても乾きやすいのです。

清潔で乾き易い日本の手ぬぐいはいかがでしょうか?

手ぬぐいとその他との比較